長谷川滋利は、兵庫県出身の元プロ野球選手です。 大学時代は、関西学生野球連盟で5度の最優秀投手に輝き、1990年のドラフトでオリックスブルーウェーブに1位指名され入団します。 プロ1年目は、最優秀新人賞を獲得し、オールスターゲームにも出場します。
長谷川滋利は、メジャーリーガーに憧れていたわけではなく、アメリカ生活に憧れていたため、メジャーリーガーになったと言っています。 1997年に金銭トレードでアナハイムエンゼルスに移籍し、念願のメジャーリーガーとなります。 2002年にシアトルマリナーズと1年200万ドルで契約を結び、クローザーとして起用されます。
そして、2005年7月には、日本人初となる500試合登板を達成し、オフにFAとなります。 日本とアメリカの球団からオファーがあったものの、マウンド上でのモチベーションの維持が困難になったとの理由から、2006年1月に引退を表明します。 プロ野球の世界から引退した後は、2006年からスポーツ新聞社の評論家に就任して活躍しています。