イタリアンレストランの経営だけでなく、テレビや雑誌などにも引っ張りだことなった川越達也シェフ。 今の姿からは想像できない青春時代を送っていました。 実は彼は甲子園を目指す高校球児だったのです。
宮崎県の本庄高校で野球部に所属し、3年間練習に明け暮れました。 高校3年の夏の大会の3回戦では、その年の優勝校で甲子園の常連校でもあった都城高校を相手に、なんと4打数3打数の活躍でした。 家庭が決して裕福ではなかった彼は、新聞配達などさまざまなアルバイトをしながら高校に通い、厳しい練習にも耐え抜きました。 今では考えられないことですが、当時は体罰が当たり前の時代。監督に蹴られ、殴られ、本当に辛い目に遭ったそうです。
しかし、その3年間があったからこそ、ここまで来られたのだと、後に語っています。 彼が高校球児の時代に学んだのは、どんなに理不尽なことがあっても3年間は我慢をするということでした。 料理の世界に飛び込んだ時も、厳しい徒弟制度に悩まされましたが、野球部の監督や先輩の厳しさに比べれば、全く大したことがなかったと語っています。