掛布と江川の時代のセントラルリーグは6球団全てに優勝のチャンスがあっただけでなく、毎年のように優勝争いが白熱する時代でした。 ドラフト制度で入ってきた選手たちがちょうど脂が乗ってきた時期を迎えており、セントラルリーグ内でも戦力の均衡が段々と進み、どこのチームも優勝が狙える時期でした。
この掛布と江川の時代において、掛布もまたキャリアを積み上げていきましたが、そんな掛布にも盟友は多くいました。 所属していたチームにいただけでなく、ライバルである投手や、同じ三塁手として技術力の高い選手など、こいつよりは絶対にうまくなる、この投手からは必ず打つとは思いながら、心のどこかで認めているからこそ思えるものがありました。
特にこの時代は、頻繁にトレードが行われたり、トライアウトのようなシステムがありませんから、その人がどう思っているかなどはシーズンオフのイベントやテレビ番組でしか知ることができませんし、晴れの舞台で仕事の話をする人はそこまでいません。 掛布に関しても現役を退き、解説者となってから知ることも多く、現役の時はみな手の内を隠して戦っていました。 戦ってみて肌で感じることから分かることが多く、盟友となりえる存在もグラウンドでの戦いを重ねて見つけていくものなのです。
掛布と江川の時代は1970年代の終わりから80年代にかけて続きましたが、セントラルリーグにはその当時ライバルというべき選手が色々といました。 投手にしても、野手にしても存在し、江川とそのライバルたちの名勝負は見ている視聴者、そして野球ファンを熱くさせました。
当時のセントラルリーグの試合はテレビ中継といえば巨人戦ぐらいしかありません。 ですので、江川と投げ合いを見せる投手、そして打席の上で対戦する野手ぐらいしかそういった場面はありませんでしたが、同じチーム内にもエースの座をかけて競い合う選手は存在しました。
また、江川自身が複雑な経緯で野球界に入ってきたため、絶対に倒してやるという気持ちで相手も臨み、それを知ってか知らずか、本人ものらりくらりとかわしていくという構図は今でも印象的です。 掛布と江川の時代は今みたいにFA移籍などなく、人材の交流もあまり行われていない時代でした。 だからこそ、個性的な選手が多く存在し、1打席1打席の勝負がとても白熱したのが掛布と江川の時代でした。
特にセントラルリーグは盛んにテレビ中継が行われていた分、そうした動きがさらに過熱し、多くの人を魅了する試合が多かったのです。